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2019年12月14日 (土)

週刊朝日の記事より

2001年1月のインタビューから

一時代を築いたが、80年代半ばには人気に陰りが見える。90年代にはテレビ出演を控え、過去のヒット曲の映像も封印した。筆者は01年1月にインタビューした際に尋ねた。なぜテレビに出ないのか、と。

「一つには自分に鮮度がなくなったこと。宿命ですよね。もう一つは、出たい歌番組がなくなったこと。どの番組にもお笑いの人がいて、歌うというよりしゃべりに行く感じ。『本音はどやねん』『ちゃいまんねん』とか言いながら、急にまじめな顔して歌う。そんなんのためにテレビ出演という椅子取りゲームに加わるのはやめようと」

――ヒットを生むためには出演したほうが得策では。


「僕は自然に売れるのを待つ。『売れた』というのは結果論でしかないんです。作為的にドラマやCMの主題歌にしてもブレークするとは限らない。以前はプロジェクトの歯車の一つでした。たとえば、阿久悠さんが強烈な詞を書き、大野克夫さんが負けじと派手な曲をつける。僕が『そうきたか!』と衣装や演出を考える。今は自分の好み、音楽的志向で当てたいんです」

――かつては「スター」と呼ばれました。

「スターって簡単になれるものじゃないし、簡単に陥落するもの。それをわかっている人がプロだと思う。今の僕は、そういう存在を求められていないような気もする」

 その後も自分の音楽的志向を貫く。テレビやレコード会社の束縛がないから、自分で新作をプロデュースできるし、護憲や反原発の歌を歌うこともできる。

 中止騒動の喧噪の中で、公演でヒット曲をやらないことを問題視する指摘も出た。本人は、先のインタビューでこう語っていた。

「現役である以上、今の僕がどういう歌を歌いたいのかを見せたいし、聴いてもらいたい。コンサートに来る人も多くは同類だと思っています。ヒット曲をやっても大した反応じゃない。とくに東名阪のファンは、僕が何をやってもついてきてくれる」

――懐メロ歌手にはならない、と。

「それをやると肉体的に楽でしょうけど、精神的にはしんどい。絶対そう思う」

 特別な例を除き、近年の公演では、著名な曲は数曲しかしない。ファンは先刻承知で、むしろ「アルバムの隠れた名曲を聴きたい」との声も少なくない。

「腰の痛みが治らない。仕事柄、耳も心配です。体力的にいつかバラードしか歌えないときがくる。いずれはギター一本で静かに歌うスタイルにするつもりですが、がんばれるうちはがんばりたい」


kimiko

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