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吉田拓郎さん

かつて、Julieは拓郎さんと対談をしたことがある。その時は、大学の先輩だ、というだけでとっても嬉しかった。その後、建さんが拓郎さんのバックになり、それもなんかのご縁ね~と単純にうれしかった。

ただ、拓郎さんは広島修道大学とは距離を置いてきた。
私は広島商科大学に入学したが、2年生の時に広島修道大学と改名した。つまり単科大学から総合大学へと変身したのだった。

拓郎さんはデビュー後しばらくして、大学の学園祭に出演したことがあった。私が1年の時の4年生がその時の大学祭の実行委員をしており、当時の話を聞いたことがあった。出番まで楽屋でギターを弾いていたが、ともかくギターが凄かった、と。大学の教授も松山から広島への水中翼船の中で拓郎さんに会い、向こうから『先生!』と声をかけられたと嬉しそうに話していたこともあった。

ところが、その後、拓郎さんが出身地を振り返るという番組で皆実(みなみ)高校の話題を話すのに決して商大の話はしなくなっていた。
距離を置いている、という噂が流れた。

今回、突然の歌碑建立の話題で、私はびっくりした、が。

地元では前々から話題になっていたらしく大学のHPにしっかり書いてあったり、コアなファンは2日に広島修道大学に全国から来ていた。(わかるなあ、その気持ち)知らなかったのは、私だけ~。

今日、名古屋で中部修大会の総会があり、来賓???として参加した私は、そこでTVのニュースを録画したDVDを見た。拓郎さんがデビューして間もない時にバックのメンバーとして一緒に活動していた家具屋さん(多分、井之口家具)の当時の話とか、もちろん除幕式の模様とか、詳細を知ることができた。新聞の切り抜きのコピーも貰ってきた。

広島に、『広島フォーク村』があり、その元村長の発案で、開村40年の記念として歌碑の話が持ち上がって大学に打診があった。2010年が開学50年になる大学としては、良い話題ということで承諾し、除幕式を行うこととなったらしい。照れ屋の拓郎さんは、こういう華々しいことは多分苦手だっただろうと思う。面はゆいということころか。式典では、撮影禁止、インタビューもなし、との事だった。式典が始まって白いワゴン車が着いた途端にみんながそっちを注目した、とか。
で、拓郎さんが登場し、我が後輩のあっちゃんが司会者として掟破りのインタビューをしたら、それに対して拓郎さんが『暑いのにどうも。みなさん元気でいてください』との発言があった、と言う。撮影も、もちろん、600名中300名(ほんとかいな)くらいが携帯を取り出してバシャバシャ?撮っていたらしくあちこちのブログにあっと言う間にアップされている。

式典会場にはものの20分もいなかったらしいけれど、その後の『フォーク村』の同窓会には途中から参加して、当時の事を振り返って話した、と。
おそらくその夜、大学の学長が拓郎さんと会って話をした、という。

紆余曲折があったらしく、最終的に来校しないのではないか、とも思われるような事もあったらしい。

何故、拓郎さんが大学と距離を置いたのか。
それは、大学の名前がかわった事が原因のような気がする。彼は広島商科大学を卒業した、つまり母校と呼ばれるのは、商大である。その母校が無くなった。
私は広島商科大学に入学したが、広島修道大学を卒業した。過渡期を体験している。
単科大学であったが、大学として生き残って行くには判断としては間違っていなかったとは思うが、商大の卒業生としては、なんとも淋しいものがあったはず。
それで修道大学は彼にとっては全く縁もゆかりもない学校という位置づけだったのであろう。

吉田拓郎という名前の知名度は、凄いものだった。
ネットもあるが、本当にあらゆる新聞各紙に載った、広島修道大学の名前と共に。大学の知名度も多分、少しだけ上がったと思う。私だって嬉しい。拓郎さんとは縁もゆかりもないけれど、僭越ながら母校の先輩、というくくりの中にいつまでも置いておきたい人である。

そう言えば、浜田省吾さんも『広島フォーク村』出身、拓郎さんのバックミュージシャンであった。

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